ワーホリに行くまでの葛藤
当時のノートに綴られていることをそのまま書いている。
2020年高校卒業。大学入学と同時にコロナ。
留学や海外旅行を夢見て大学に入学したが。地元を離れて一人暮らし。授業は全てオンラインで、友達も作れなかった。両親にも心配をかけたくない。都会から田舎に帰ると、近所に噂されるような感じ。地元にも帰れなかった。
その後コロナの対応にみんな慣れてきたが、大学生活特に何も楽しまずに、3年生の4月になった。「大学時代に頑張ったことは何だろう」「就活で言えることは何だろう」「海外で生活してみたい夢は?この先実現できる?」そんなことを思って、ワーホリに行くことを考え始めた。
まず、大学を休学してワーホリに行きたいことを母に伝えた。海外に行くことは初めてじゃなかったが、エージェントを調べ始めた。母親は最初から私の背中を押してくれていた。父親は、「1カ月くらいの語学留学ではだめなのか」と言っていた。
2023年5月の末、自宅宛てに手紙を出した。
「私大ですでに多くのお金を使わせてもらっているのに、更にお金がかかること望んでいる。じいちゃん・ばあちゃんたち、家族のことが大好きで離れたくないけど、正反対の外国に行きたい気持ちがある。日本が嫌いとかではない。海外に興味があって、暮らしてみたい。」以下のように、ワーホリに行くメリットやデメリットを書いて送った。
―何のためにワーキングホリデーに行くのか―
・英語力向上
・海外で生活をしてみたい
・日本人以外にも友達をつくりたい
・失うものは何もない
・自分の目でいろいろなものを見てみたい
・死んだら終わり、やってみたいことをやりたい
・外国で暮らすことは自分に合っているのか確認したい
・このチャンスを逃したら100%後悔する
・今行かなかったら、行きたいのに怖くて逃げた感じがする
・人生一回きり
なんか、今思うとお願いする側なのに、強く出ている気がする。(笑)
6月1日、離れて暮らす両親から電話。
父「手紙を読んだよ。Umiの気持ちは分かった。あと何日考えても考えは変わらないと思う。結論から言うと、行っていいよ。みんな価値観は違うし、自分の価値観を押し付けるのは違うし。母と同じように、Umiのやりたいことをやらせてあげたいと思っている。」
私は、行っていいよと言われたのにもかかわらず、更に不安になった。「あ~行くんだ。」と。父の許可も得て、一気に現実味を帯びてきたから。そのあとの会話は、なぜか私は号泣してた。父と母は、泣いている意味を分かっていたのだろうか。その電話の中で、父は「異国で暮らす不安のアドバンテージがあるのに、それだけ悩むってことは行きたいってことなんじゃないの。」と言われて確かにと思った。
「行かない」→将来当時を振り返って、自分は勇気を出せなかったんだと後悔する
「行く」→不安、生活できるのか、家や仕事は見つかるのか
でも、心の中では「行く」で決まっていた。小さいころからの癖で、これができたら勝ち、できなかったら負けということを、小さいことでも何でもかんでも自分の中で決めてしまう。人とは比べすに自分のルールとして。例えは、ランニング中あと1キロ走ったら勝ちだと心の中で思うと、負けは嫌なので、何が何でもあと1キロ走るしかない。この考え方については、父からいろいろ言われたことがあるけど。
恐怖心に負けて、行かない選択肢をしたら負けとなるので、私は行くしかなかった。自分の性格をうまく利用した。
いくつかのエージェントに話を聞き、1つの会社に決めて、料金を支払った。大きな金額が実際に動いたときに実感した。「あっ、本当に行くんだ。」
10月帰省した際に、母から「人生は一回きり。Umiがしたいように生きていいんだよ。あなたの人生なんだから」と言ってくれた。2月の終わりにオーストラリアに渡航したが、もうこの時から、夜寝れなくなることが多くなった。目を閉じると色々なことを考えていた。「仕事が見つからなかったらどうしよう」「お金が底をついたらどうしよう」など、考えられるすべてのネガティブなことを考えたと思う。ばあちゃんから入眠導入剤をもらって、寝る日が続いた。
私が年末帰省する少し前に、両親が祖父母に私がワーホリに行くことを話してくれていた。80代の人が想像する海外は、危なくてすごい遠いそうだ。いろいろ質問攻めにあったけど、これも価値観の違いかと思った。私は、両祖父母のことが大好き。どちらの家も近くて、小さいころから誕生日や運動会、部活の応援までたくさんの喜びや思い出を作ってきた。本当に私は愛されていることを常に感じていた。
自分の中でも、Eチケットを見ても行くことが決まっているのに、弱音を吐いたり不安になる自分の背中を常に押してくれたのは母で間違いない。「行ってみてUmiに合わなかったら、帰ってくればいい。それも一つの成果なんだから」と。
出発当日。地元の空港には従兄弟や友達も来てくれた。まだ搭乗まで時間があるのに母は、早く行け!って冗談を交えながら大爆笑で送り出してくれた。そこで、母が泣いていたら私も泣いてしまい、不安が大きくなっただろうなと思う。いつも通りの、面白くて明るい母のまま送り出してくれたことに感謝している。
手荷物検査をして、搭乗を待っている間、見送りにはこれなかった父からLINE。「環境を変えるUmiの決断は本当にすごいことだと思う。身体に気を付けて安全に。」それを見た私は、ボロボロ泣いてしまった。その時すでに家族が恋しかった。
その当時、自分は大学生。アルバイトで貯めたお金しかない。その他は両親のサポートで、ワーホリに行くことができた。ワーホリに行くことも、これまで自分がしたいことを何不自由なく、思いっきりさせてくれた両親に感謝している。私の両親があなたたち2人で本当に良かったと思っている。
と、ワーホリに行くまでの流れをノートに書いていた当時のUmiでした。
羽田-シドニーの機内食、美味しくなかったことは忘れない。
(不安でいっぱい。何を食べてもおいしくなかったと思う。)